「もう、生きられない」という子供にかける言葉

今こそ、考えていかないといけないこと

2022年の小中高生の自殺者数が発表されました。
1980年に統計を開始してから初めて500人を超え、514人、過去最多。
その4割が男子高校生だそうです。


今、10代の死因1位は自殺です。
そしてまた、ショッキングな女子高生の自殺がありました。


この現実の前に、なんの言葉も出てこないです。

その子どもたちの親御さん、友達、周りの人たちの痛みや苦しみを想うと、心が凍りつきそうになります。



けれども、この重い問題に対して、どうしていいかわからない。

だから、私も含めお母さんたちは、この事実に心を痛めていても、「どうしようもない問題だ」とフタを閉めるしかない。

一方、「うちの子がそうなるかもしれない」と感じるお母さんは、その怖さを独りで抱えるしかないでしょう。



命の問題は、重いです。

今までそのことに向き合ってこなかった私たちは、このことを語る言葉を持ちません。

それでも今、この現状が訴えていることは何なのか。

今の私たちにできることは何なのか。

一緒に考えていくことが必要なんだと思います。



これはちょうど1年前の記事です。
少しリライトしました。


「もう生きられない」と言うわが子にどう寄り添うか。


そして「子どもたちが生きられない」
そのことが教えてくれていることに、私たちは目を向けないといけない、と思うのです。


今日も一緒に考えましょう。



どん底があったからこそ、感慨深い入学式

わが家の春。
それは、長男(HSC)!!
晴れて大学生になりました。

息子は
長女(HSC)の大変さとは違う
大変さがあったんですよ。

高校卒業後、1年間は何もせず
6月から家を出て、働き始め

その後
大学受験を決めて、1ヶ月で受験。
無事、4月から大学生です。

入学式の日、私の胸がいっぱいになったのは
2年前、息子は「生きること」が
つらくなった時があって

あれから、よくここまで頑張ってきたな
という想いと

あの時、彼が抱えていたことに向きあい
お互いに涙を流しながら
本気の話をしたあの時間は
とても大切な時間だったな、と

感慨深かったから。

「もう、生きられない」という子どもに

卒業は決まったけど、進学もしない。
就職も考えてない。
その頃でした。

「もう、生きられない」

絞り出したような言葉と静かな涙。
「あぁ、ここまできていたのか」

「これは、きちんと向き合わなきゃいけない」
と腹を決め、話を聞いたのでした。

「もう、生きられない」

そんな子どもの苦悩に
私たち、お母さんはどうやって
関わっていけばいいのでしょうか?

その時の話をしたセリフなどは
もう、覚えていないのだけど

私がどんなことを気をつけて
どんな話をしたのか?

頭の中は
どんなことが起こっていたか?
その話をしようと思います。

お子さんが何か辛いことがあった
という時にも
何か参考になるのはないかと思いますし

少し重い話なのかもしれませんが
とっても大切な話なので
最後まで読んでもらえたら、と思います。

 ※これは、とても繊細なことを扱っています。
子ども一人ひとりの背景や性質が違いますし、この通りにしたらいい、ということではありません。

「死」ということにフタをしない

命 ・・・寿命
いのち・・存在そのもの
    命を含めた生命の働き


「もう、生きられない」
というセリフが出てきたのは
突然、という訳ではなくて。

それまでも
「自殺の方法」をネットで調べては
私に話したりしてました。

それに対して

「そんなことは絶対に
 考えたりしてはいけない。」

とは、言わなかったです。

なぜって、今、
そう思ってしまうことが
その時の彼の事実だと思ったから。

それは、死を
軽く受け取っているわけでもなく

絶対にいけないこと、大変!!なこととして
受け取っているわけでもなくて。

「今、そんなことを考えているんだね。」

「それを調べたくなるくらい、つらいんだよね。」  

という、スタンス。

だから

「それは、今、生きるってことに
力が湧いてこない、ってことかな?」

とか

「生きることに、前向きになれないよね、
こんな状況だったらねぇ・・」

などと、声をかけたりしていました。

「そんなことを調べたらダメ」と言うよりも
それを調べたくなってしまう
彼の気持ちを受け取ってあげる方が
大切だと思ったからです。


高校生になってから
そんな話が出ては消え、
また出ては消えという感じだったので

いい形でおさまってくれたらいいな
と、思っていたけれど。

でも、高校卒業前のあの時

「もう、生きられない」

その言葉に驚き 
目から涙が出ているのをみた時には

「これは、きちんと向き合わなきゃいけない」
と腹を決めました。 

「〇〇(←息子)、これは大切な話だからゆっくり話そうか」
と、声をかけたような気がします。

ただただ、受けとる

その話をする間
気をつけていたことは

まずは
彼の中に何が起こっているのか、を
ただただ、受けとる
、ということ。

そこに
「そう考えるんじゃないんだよ」の否定も

「・・いや、そんなふうに考えたらいけないよ」
「こう思った方がいいんじゃない?」
などのジャッジも封印して

そうか、そういうことが
あなたの中に起こっているんだね。


あぁ、そういう考え方をしたんだね。

そんなことを思ったんだね。

ただただ、その気持ちで受け取り
その気持ちで、訪ね
聴いていくだけ、でした。

一番難しかったのが
そんな彼にどんな返答をするか?
ということで

「コントロールしようとするような気持ち」

「彼をどうにか変えようとする自分」

心の中のホウキで払いながら、祓いながら

純粋に

ほんとうのことを

共に、考えよう。

ただそれだけに、神経を集中したのです。

彼はHSC(人いちばい敏感な子)です。

大人が子供をコントロールする言葉や
世間の常識、と言われるものの押しつけ
ウソが混じっているものがわかりますから
それは通じないし、信頼しない。

その傾向が強い子ですから

信頼されないと、聞いてもらえないし
心を開いてもらえません。

特にこんな時なので
虚偽や、コントロールする言葉は、
絶対に、届かない。

それどころか
せっかくの大切な時間が
サッと切られて
殻に閉じこもってしまうかもしれない。

本当のもの、ほんとうの言葉、しか
届かないし、心に響かないから

・軽い言葉、表面的な言葉で、濁さない。

・楽しいことで、隠さない。

・かわいそうと、同情しない。

・簡単に、大丈夫だよ、という言葉で流さない。

・励まさない。

・根拠のない適当な希望をみせたりしない。

それは
彼(18歳)という人間の苦しみと
当時48歳の私、という人間全部
の対話だった、と思います。

「死」というものを目の前にしたときに

例えばね
死についての討論をするなら
「語る」こともできるんですよ。

なぜならその時は、どちらも、
「死」が、自分の外側にあるから。

「もう、生きられない」

死、というものを目の前にした時に
何も言葉は出ないです。

言葉や理解や理性、知識、
正しさのようなものでは
押さえられるようなものではないのです。

でも今、目の前には
この大事なことを抱えている彼がいて。

それに対してできることは
彼の今の苦しみや想いを
受け取りながら
共に考えていく
と、いうことだけでした。


知識ではない
私の全部を出して
全身で応えたつもり。

だからか、何を言ったのか
全く覚えてないの。

お互いに涙を流しながら
本気の話をした
静かな時間でした。

どのくらい話したのか
少し、落ちついた様子がみえて
自分の部屋に戻っていって。
それから、なんとなく
普通の生活に戻っていったのだけど。

1ヶ月経ったころ

「生きることだけは、決めた」

と、言ってくれて

まずは、ホッとしたのと
何かを受け取ってくれたのかな、と
心が温かくなりました。

子どもはお母さん(親)に、究極に大事なことを聞いてほしいと願っている

以上、
これは、うちの息子の話です。

私の長期講座の受講生のお子さんに限り
お子さんのカウンセリングなどを
受けることがあるのですが。

その中で、2回ほど
「死」ということ
そして、「生きる」ということを
話すことがありました。

その時も、全く同じ。
私の全てを出して向きあうことしかできないです。

その一つ一つが真剣すぎて
覚えてないくらい。

そして、そんなことがある度に思うのは

お母さんは、死、という究極に大切なことを
子供と一緒に考えられることが
本当に必要だ、
ということ。

それは、いつか
お子さんがこういう想いをしたときのために、
・・・とかじゃないですよ。

このことが
人が力強く生きていくために
とても大切なことだからです。

じゃぁ、どうすれば
この感覚がわかるようになり
子どもと話せるようになるの?

私は
「いのちの問題」って
子どもに、それはこういうものだ、って
知って、教えるんじゃないんだと思います。

死、について考えるってことは
「生きる」ということを考える
ってこと。

私たちが、「生きる」ということの
深さや悲しみや重さを知っていくこと
でもあり

その深さや悲しみや重さの奥に
大きくて深い愛があることを
わかっていくこと
だと思います。

そうしていくことで
今、いのちの問題の前に
立ちすくんでいる子どもたちと

どうしようもないようないのちの暗さや重さ
そして、光を

一緒に、考えることができるのだと感じます。

子どもが「死にたい」と言ったときにどうするか

「もう生きられない」「死にたい」と
子どもが言ったとき、どうするか?
私が思う、今できる2つのことをお伝えしますね。

①「とても大事な話」として取り扱う

それが(いけない)大変なことで
触ってはいけない腫れ物のようにしないこと。

「それは、とても大事なことを話してくれたね」
ということです。

生きないといけないんだ、とか
無理矢理ポジティブ、前向きにしない。

明るいところを見せて
ナイことにしない。

ちゃんと
大切なこととして
扱ってあげてほしいのです。


どんなにキレイごとを言って繕っても
子どもたちは、違う、って
どこかでわかっています。

間違っていてもいいから、誠意を尽くす
その方が、子どもは信頼し
お母さんからの愛情を感じることができます。

②お口チャック

あなたの生きる価値観が
どんなに素晴らしいものだとしても

この子にとって、社会や世間の正しさを
身につけることが必要だと思っても

それを脇において
お口チャック!!

ただただ

「あなたは、そう考えたんだね。」

「あなたは、そう感じたんだね。」

「あなたは、今、そうなんだね。」

その気持ちで、聴いてあげるだけ。

大切なので、もう一度言いますよ。

その気持ちをもって
聴いてあげる。

自分の中の誠意を尽くして
一緒に考える。

そのほんとうの気持ちが
お子さんに伝わります。

大事なことをナイことにしてきたことで、今起きていること

でもね、私たちが、死について
触れることや、考え、語りあおうとすることは
とても難しいのです。
できなくって、当然!!

小さい時からずっと
「死」というものは忌み嫌われ
考えてはいけないこととして
育てられてきましたし

こんなにも便利でスマートな世の中で
「死」というものは隠されて
ナイことにされてきました。

でも
今まで「死にたい」と
一度も思ったことない人って
少ないんじゃないかしら?

私は、何度もあります。

「死にたい」
それすら、表に出さないことで
生きてきた人は、多いかもしれませんね。

親も先生も、社会も世間も
真剣に応えて、受け取ってくれなかった。
一緒に考えてくれる人なんていなかった。

それどころか
不吉で、いけないものとされ
楽しいことで誤魔化し
ポジティブで前向きに生きることに
すり替えられてきたのです。

そう、私たちこそが、死、について
一緒に考えてもらったことなんて
ないんですよ。

それだけじゃなくて
自分でもわからないほど心の奥深くに
絶対に触れてはいけない
怖いものとして持っている、

ということも、あると思います。

だから、できなくって、わからなくって
当然なのです。

でもね、このことは
子どもや子育ての問題ではありません。

その暗くて重くて、とても大事なことに
フタをして、ナイことにして
生きてきたことが

私たちの生きる土台を貧弱にして
生きる意味がわからなくなる
ということが起こってきています。

とても大事なことにフタをして
明るさや前向きで、生きるしかなかった私たち。

明るさや楽しさだけでは
決して満たされることはないから

明るいようで、どこか暗く
楽しいようで、何か虚しい・・・

実は、そんな得体の知れない苦しさの中で
どこか誤魔化して生きている
ということがあるのではないでしょうか?

私は、子どもたちこそが
その生きづらさを見せてくれることで
私たち親に
「自分のいのちを生きろ!」と
言ってくれているように感じるのです。

でもね、今まで
そんな問いを語り合う場もなければ
受け止めてくれる人にも
出会わなかったのだと思います。

これからの時代は、もう
そんな生き方はできない。
子どもたちも、私たちも。

だから私たち、親こそが
生きるということを真剣に学び
考えられる大人にならないとね♪

今こそ、その大事なことに
触れていく、わかっていく
「いのちの授業」が、必要だ

切実に思うのです。

私も、今、できることを
させていただきたいと思っています。

親子ビリーフリセットという場

この「いのちの授業」にもなっているのが
親子ビリーフリセット
ベーシック、アドバンス講座


5ヶ月から9ヶ月。
その長い時間をかけて


自分という人間に
深く出会っていく場であり。

お母さんとして成長しながら
大変な子育てを変えていく場であり。


苦しかったことも、つらい子育ても
今までの人生の全てが活かし
生きられるようになる場です。


親子ビリーフリセットカウンセラー
になって、活動することもできます♪)


ままならない子育てや
どうしようもない生きづらさを通して
自分というものをしり、受け入れ

自分という存在にどれだけ向き合ったか。

人が生きる、ということはどんなことなのか、
そこにどれだけ触れてきたか。


それが、言葉となり、生き方となり
子どもたちに伝えられるものとなるのだと・・

いや、子どもたちと響きあうものになるのだと思います。



これからも、その中で気づいたことや
一緒に考えていきたいことを
メルマガ(メルマガ限定の記事もあります)や
ブログでお伝えしていきますね。

それではまた
本当に大切な
ほんとうの話をしましょう

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