友達ができない息子のビリーフとその理由に涙

我が家は今日も朝からいろいろ起こってます。

昨日の夜から、子ども達が全員揃って「家族団欒」

朝8時から4時間、夫が入れてくれたコーヒーをお供に、濃い話が続いていましたが・・。

先ほどのことです。

22歳息子の「俺は変で、受け入れられない存在だ」というビリーフリセットワークを

長女がカウンセラー、次女が見守り役(モデレーター)の3人でやることになりました。

それも、息子が「お母さんがやるより、H(長女)にやってもらう方が良さそうだ。

安心するからM(次女)と一緒がいい。」と言ったの。

その本当の気持ちを引き出したのは、家族のそれまでの対話の力。

私はそのことに胸がジーーンとしてる(T . T)

(あ、でも、ママじゃないと言われて、ちょっと、寂しい・・・)

今、夫が会場となる「こたつの部屋」を掃除中。笑

 
こっそり聞き耳立てたいところだけど
私も子離れしなくては!!!
 

・・・仕事します。

(「おいおい、夫婦で語らえ」というツッコミは無しで)

おおーー!!
こんな展開になるとは・・・。

部屋をのぞいたら、ビリーフは「俺は人を楽しませないと、仲良くなれない」
になっていました。


このビリーフを持っているから、友達が楽しそうで、笑ってないと苦しいし、友達になれない。

笑わせられない、楽しませられない自分を「ダメな人間だ」と自己否定するのです。

そして、笑わせないと!!と思うと余計に変なギコチナイ会話、自分ではない態度になってしまう。

そりゃ、頑張れば頑張るほど上手くいかないよね。



ふーん、だったらそれ、「そう思わなきゃいいじゃん!!」って思うでしょ。

そんな簡単なものじゃないんだな、コレが。



だって、その自己否定

幼い時、家族の中で、そこを生き抜くために考えたものだから。
生存をかけたメリットなんです。

だから、強固ってもんじゃない。

例えば、パソコンのOSって、MacならMacの通りに動くし
自動でその通りにしか動けないですよね。

無意識に、その通りにしか動けない自動反応、それがビリーフ。

気がつかなければ、そのビリーフの自動反応が望まない現実を作りますよ。

話を戻して

ビリーフリセットワークでは、そのビリーフが必要だった幼い時のメリットを出す、という大事な工程があります。


この時、たまたま横で見てたのですが。

カウンセラー長女が出したのは

「すぐ怒鳴る、機嫌が悪いお父さんを楽しませなくてはいけない、ということをしていたんじゃないの?」ということ。



私の心の中「おお!ナイス♪」



でも、息子は全然ピンとこなかったの。

このビリーフを持っていることは、なんとなく自分でもわかってた。

だけど、この苦しさが幼い時の親との関係にあるとか・・・そういう回路がないもんね。
(私と何度かやってはいるけど)


しかしこの辺りは、同じ親のもと辛酸を舐めてきた姉弟。

彼が覚えていなかった思い出をたくさん出してくれます。



私もハッと思い出したことがあったので、エピソードを話しました。

そしたらね、彼もポツリと言ったの。

「確かに、うちはずっと暗かったな・・。」と。



夫が小学生、中学生の時の息子のオモシロ動画を何本か撮っているんだけど。

超!おバカで面白いのよ。

 

だけど、改めて思うと、あの時期、我が家は本当に暗かった。

誰もが自分を一生懸命生きていたのに、バラバラだった。



あの暗い家の中で、一番小さくて(長女と6つ違い)かわいくて、素っ頓狂で、明るい息子が

ただ一つ、光を灯してくれていたんだね。



私もその時のこと、覚えてる。

そして頭のどこかで思ってた。
「息子は、なんで一人でも、あんなにも明るくいられるのだろう・・」と。

 
確かに面白かった。可愛かった。


だけど、この違和感は

彼のこの家を自分だけでも明るくしなくてはいけなかった、悲しみ。

お父さんを喜ばすと、機嫌が良くなると家族が幸せになる。

そう頑張った一生懸命さだったのだ。



書きながら、胸がギュッとして涙が溢れるね。

私たち親も
私たちの親も
私たちに育てられた子供たちも

みんな傷ついているのです。



自分を守り、親を求め、愛を求め
家族を平和にしたくて、親を守りたくて
傷ついているのです。



それが叶わず
それができないから
その自分を否定することで生きる。

それが自己否定。(ビリーフ)



その痛みや傷を映し出しながら
私たち人は生きてきたんだよ

ただただ一生懸命に。



それが家族の暗さであり
子育てのつらさを作ってきた。



一番大切にしたい人で
一番大切な関係だからこそ

暗く、つらくなるの。



だから、こんなに大変な暗い家族でも

いや、だからこそ

ちゃんと乗り越えると

痛みも悲しみも苦しみも
お互いを「そうだよね」とわかり合える関係になり

いいも悪いも含めて
大切な家族の一人として
大切な人になるのです。